2013年09月21日

投資家の知覚には個人差がある理由

日常生活を送る上では、日常的会話ができればこと足りる。日常のボキャブラリがあれば良い(意外と広いけれども)。

投資やビジネスの世界では、やや事情が異なる。その世界で、特に重要なものが会計用語だ。会計とは、経理マンだけのものではなく、投資やビジネスの世界で用いられる共通言語だ。

経営者が、投資家、従業員、債権者、取引相手といった利害関係者に対して、何をいいたいのか、何を伝えたいのか。それが決算説明会などで表れる。決算短信や有価証券報告書(有報)を通じて表現される。

有報、短信といった決算書を手に取ってみていただきたい。一見、無味乾燥な数字の、耳慣れない専門用語の羅列にみえるものが、会計のボキャブラリを手に入れて初めて、経営者の意図を認識、把握することができるようになる。

おもしろいのは、経営者が、自社をどのように見てほしいのか、どのように評価してほしいのかが見えてくると同時に、なにをぼやかしたいのか、投資家たちに、できれば目をつむっていてほしいものとは何なのか、できれば隠しておきたいものとは何なのか、というものまで、うっすらと、あるいはときにハッキリと見えてくることだ。

ここまで来ると、売上がいくらだ、利益がいくらだということは、案外重要でないかもしれない、ということに気づく。

知識があっても見えてこないものがあるのは事実(将来の業績とか)だが、知識がなければ見えないままのものがあり、知識を持つことで初めて見えてくるものがある。

投資家が持ち得る知覚には個人差がある。既知、未知、不可知の境界を定めるものとは、各人の持つ知識、なかでも特に、会計知識であると思われる。
posted by SHOJI at 23:03| Comment(0) | 会計と投資 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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