2005年02月13日

カラダで憶える

気に入った本が見つかると、その中の言葉を書きとめるようにしている。
「スピリチュアルばへっと=きょうの言葉=」はその一部を公開しているもの。
書き取るという行為は、もしかして凄い可能性を秘めているのではないか?
今朝、起き抜けに不意に思い至った。

文章を書いていて、自分の言葉とした書いた部分に、そっくりな記述を本の中に見つけることがある。
あ、同じことかいてる!と一瞬思ったりするのだが、もちろん、以前に自分が読んだ本なのだから同じこと書いてしまっているのは自分である。

それにしても、意識の上ではすっかり忘れていたような事柄を、いつの間にか自分で文章にしてしまっているということに少なからず驚いた。

ひとつの考え方ではあるのだけれど、いったん自分が読んだ本の内容は、意識の深いところに蓄積され、何かのきっかけで表に現れてくるのではないだろうか?

そしてそれらは、自分が昔何かに書きとめたことのある文章だったりすることが結構多い。

写経という修行法がある。
お坊さんとかが、般若心経を自らの手で書く。
これを百日続けると、霊験あらたかなことが起こる、なんていう話を聞いたことがある。

昔は写本が行われていた。
印刷技術が発達していなかった時代は、おいそれと本を買うこともできず、(安くはない上に、流通良自体が少ないから)気に入った本を手に入れるには、自分の手で書き写す他なかったのだろう。

もしかしたら写経・写本という行為には、本に書かれている内容を自分の意識の深いところに刻み付け、自分のものにしてしまうという効果があったのではないか?

いい本であっても、一度読んでその内容をすべて身につけることは難しい。
そのときは感動しても、しばらくするとすっかり忘れてしまっていたりする。

それを保管する行為、というか、優れた知恵・知識をスピーディーに我が物とする、その手法の一つとして写本があったのではないか。

手前味噌な話をすると、何かモノごとを覚えなくてはならないような場合、自分は紙に手で書いて憶えるようにしている。

身体で憶えるといってもいい。

何度も読んで憶えるという人も中に入るが、自分の場合、一度実際に手で書いた方が、結果的に早い、ような気がする。

写本とは、人間の潜在能力を活かす技術。
そしてそれは現代において、なかば失われつつある。

そんなことを考えた日曜の昼下がり
だったのでした。
posted by SHOJI at 17:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 潜在能力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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